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帰ってきた暗室ノート

Version 1.0.1

―― 1999年10月分 ――

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1999.10.18 (Mon)

出発

朝。荷造りをして慌ただしく家を出る。成田着。時間に多少余裕があったので空港内で遅い昼食をとる。搭乗ゲート前にて同じ飛行機に乗ることになっている今野さん,花井さんに会う。飛行機が離陸。始めは眠るつもりだったが結局眠れないままサンフランシスコ国際空港に到着。サンフランシスコ国際空港の荷物受取所にて萩野さん,今野さん,花井さんと合流。入国審査を受けた後,4人でレンタカーを借りに行く。

SFO到着

萩野さんの運転するレンタカーでシリコンバレーへ。Sun,Oracle,HPといった世界的に有名な企業の本社ビルが並ぶ。壮観だ。Palo altoのKirk'sというハンバーガ屋で食事をする。ここはこじんまりとした町のハンバーガ屋さん,と言った感じ。おじさんが目の前でハンバーグを焼いてくれる。ジュースの紙コップがとても大きいのに驚いた。

シリコンバレー

そのあとFry'sへ。このお店は日本で言うとディスカウントストアみたいな感じだろうか。見た目は倉庫のような感じで,そっけない。さすがに現地でも有名なだけあって物凄い品揃え。コンピュータ部品,工具,本,雑誌などの量に圧倒される。萩野さんと花井さんは日本では入手困難なものを購入。Fry'sの後はComputer Literacyへ。ここはコンピュータ関連の書籍の専門店。プログラミングテクニックの本や技術解説本が非常に豊富で,シリコンバレーの土地柄がうかがわれた。1冊,買おうかと思った本があったのだが分厚くて持って帰るのが大変そうだったので今回は断念。Computer Literacyを後にしていよいよFreeBSDCon'99の会場のRaddison Berkeley Marinaへ向かう。

Raddison Berkeley Marina

San Jose,Oaklandを経由してBerkeleyへ。Raddison Berkeley Marinaはいかにもリゾートホテルという感じ。いよいよチェックイン。"I have reservation."と言って予約確認書をフロントに見せる。Takehiro Suzukiで予約したつもりがSuzuki Takehiroで予約されていてちょっと手間取ってしまったがどうにかチェックインできた。部屋は本館から少し離れた建物。1人なのに2つのベッドがある。もともとリゾートホテルなので1人でくることなど考えていないのだろう。夫婦と子供2人ぐらいでちょうどいいくらいの部屋だった。部屋で少し休んだあとでFreeBSDCon'99の最終登録をする。ここで10/20のディナークルーズの料理の予約を同時にする。登録を済ませたあとで前夜祭に参加。渡辺さん,栗山さんと会う。いろいろと話をしながら食事を済ませた後で,端末室へ。ここに日本から持ってきたNote PCを持ち込んでInternetに接続してメールを受信。萩野さんは私の横でお仕事のデバッグ。メールのチェックが一通り終わったところで部屋に戻って就寝。


1999.10.19 (Tue)

あさ

朝5:30起床。こんなところまで来ていつもと同じ時間に目が覚めてしまう。しかも-17時間も時差があるのにだ。予定表によると朝食は7:30からだ。しばらく新聞を読んだり,昨日受信したメールの返事を書いて過ごす。7:30に朝食を食べに行く。朝食後,端末室に行くと知り合いはみんなもうメールのチェックなどをしている。萩野さんはまたデバッグしている。私もメールを受信したり,知り合いのWeb日記を読んで9:00のConference開会を待つ。

FreeBSDCon開幕

9:00。Jordan K.Hubburdが挨拶でからConferenceが始まる。彼はとても早口でしゃべるのでついていくのがやっとだったが,とりあえずスライドショウのおかげで内容はだいたい理解することができた。FreeBSDの開発方針や今後のリリースのスケジュールのことが中心的な話題。日本ではFreeBSDの利用が盛んなことなども話していた。

セッション

このあとでMark Murreyの"FreeBSD System Security"という講演を聴く。"セキュリティの本質ってのはパラノイアなんだ"という言葉が印象に残りました。

ここで昼食。

午後の前半は萩野さんの"KAME IPv6 and IPsec"を聴きにいった。IPsecとは,IPv6とは,といった話から始まりKAMEの実装の説明が行われました。


1999.10.20 (Wed)


1999.10.21 (Thu)

FreeBSDCon閉幕

浅見さんとはじめて話した。

カンファレンス終了後,フロントへ手荷物をとりに行った。私のはすぐに出てきたものの,渡辺さんの荷物の一部が出てこない。ここのところ彼はついていない。どうにか荷物が出てきたところでフロントの金髪お姉さんにタクシーを呼んでもらう。ついてのTCを$50分現金にしてタクシーの料金を確保。今野さん,栗山さん,花井さんはバスでBerkeley市街へ出発。浅見さんも他のCore Teamの打ち上げパーティに行ってしまった。私と渡辺さんはタクシーにのってJapan Townへ。タクシーに乗ってRaddison Miyako Hotelについたときにはもう薄暗くなっていた。


1999.10.22 (Fri)

あさ

今日は完全に一人。朝食はホテルの中にあるレストランでとる。日本人と思われる店員さんにいらっしゃいませといわれてややびっくり。思わすHi,と英語で答えてしまう。どうやら頭の中が英語モードになってしまっていたようだ。朝食後,観光ガイドブックをめくりながらどこに行こうかと考える。カリフォルニア大学バークレー校を見に行くことはすでに決定事項なのだがそのあとに行くサンフランシスコ市内が問題なのだ。結局都会なのでどこを見に行けば良いのかいまいちわからないのだ。結局ケーブルカーに乗る,ということにしたので行き先はフィッシャーマンズワーフとなる。

観光

カリフォルニア大学バークレー校にはBartと呼ばれる地下鉄で行くことにする。しかしホテルのあるJapan TownはBartの駅から離れているのでMontgomery St.までバスに乗っていく。Bartの券売機は無愛想そのもので日本のそれのように親切ではない。おつりはでない。券売機のところにほとんど人がいないのをみると地元の人はみな定期券を使っているようだ。Richmond行きのBartに乗ってDowntown Berkeleyを目指す。しかしお約束通り乗り過ごしてしまう。寝てしまったわけではない。Bartの路線図にはDowntown Berkeleyと書いてあるにも関わらずDowntown Berkeley駅の看板にはBerkeleyとしか書いてなかったため勘違いしてしまったのだ。Berkeleyから2つ先の駅でそのことに気が付いて急いで引き返す。Downtown Berkeley駅は地下にある。階段を上って町に出る。すぐにUCBのほうへ向かわずに大通りを歩いてみる。公園,教会,郵便局,小学校か中学校らしきところなどに行き当たる。とても落ち着いた感じの街。Bartの駅近くに1回戻り,ここからUCBへ。まず大学の案内書に行くことにする。UCBの前の通りで今野さんと再会(どうせ帰りの飛行機も一緒なんだが)。彼はすでにUCB詣でを終えて,これから市内に戻るところだった。これからゴールデンゲートブリッジのほうに行く予定なのだという。今野さんと別たあと,案内所に行く。案内所で美術館の場所とローレンス科学館への行き方を聞く。美術館は大学の周囲を歩いていけばたどり着けそうだったのでまずそちらに行くことにする。ローレンス科学館は遠いのでどうしようかと思ったがそれについてはまた後で考えることにした。美術館へ行く途中,何軒か店に立ち寄る。本屋,生協,電気屋。本屋で驚いたのは歴史や社会科学の本が非常に豊富であったこと。UCBといえばComputer divisionのことを思い出してしまう私のような人間にとってはかなり衝撃的だ。もともとは文系な方面に強かったんですね。ここって。電気屋さんは町の電気屋さんといったところ。これといって印象に残るようなものはなかった。一番印象に残ったのが生協。文房具,教科書,UCBグッズにいたるまで全部そろう。思わずUCBの校章入りのノートを1冊買ってしまったよ。しかしこのノートの厚いことといったらない。日本のノートの3冊分くらいある。UCBはたいへんレベルの高い大学なので学生の勉強量も半端ではないのだろう。美術館に着く。源氏物語が海外でこんなにウケているとは思わなかった。tale of GENZI。これがあちらでのお名前らしい(もちろんGENZI MONOGATARIでもOK)。古代中国の俑や青銅器も結構あった。日本のように堅苦しくないのがいい。美術館をでてUCBのキャンパスに踏み込む。建物はどこもきれいで大学だけでまさしくひとつの街になっていた。ローレンス科学館に行こうと思ったのだが時間はもう2時になっていたのでこちらの方は断念してサンフランシスコ市内へ向かう。Bartに揺られて30分あまり,Powell St.にて下車。ケーブルカーに乗る。ケーブルカーはごとごと坂道を上っていくがそのペースは運転手まかせ。平らなところに出たら一休みしてまた坂道をごとごと。車も走る大通りを悠々と駆け抜けてフィッシャーマンズワーフへ到着。海岸に土産物店が並んでいる。ゆでた海老を出す店もあったが私のいったときには店の中にあまりひとはいなかった。とりあえず家族や職場の人たちへのおみやげとしてここでチョコレートを買う。ケーブルカーの乗り場に戻ると物凄い行列ができていた。海風が吹きつけるなかケーブルカーの順番を待つ。Powell St.に戻り,BartでMontogomery St.へ。そこからバスに乗ってJapan Townへ。Japan Townのバス停で降りた後はJapan Townを見てまわる。紀伊国屋ビルには日本の本が並んでいる書店があった。ホテルに戻る途中でスーパーに立ち寄る。ここも日本で売っているのと同じ商品が並んでいる。回りにいるのもどうやら日本人が多いらしく,なんか安心してしまった。ここでジュースを買う。ついでに靴下も探したのだがない。仕方なくホテルへ帰る。ジュースを飲んで一服した後,再び靴下を求めて町中を歩いてみたがやはりない。諦めてホテルへ戻る。疲れたので少しベッドで横になると,いつのまにか眠っていた(^^;。起きてみるとすでに20:30。ホテルの中の食堂街に行く。韓国料理にするか日本料理の店があったが,あまり考えずに日本料理店に入り,鍋焼うどんを食べる。部屋にもどって寝直す(おい)。早朝1:00ごろ目が覚めたので風呂に入り,2:30ごろまた寝る。


1999.10.23 (Sat)

あさ

起きると7:00。昨日と同じレストランで朝食をとる。そのあとで空港へ向かうシャトルバスを予約。11:00だよ,とドアボーイに会う度に言われる。そのあと靴下を調達。ホテルの中に薬局があってそこで日用品は一通り手にはいる。いままで手元でうなっていたコインを一気に使う。部屋にもどってしばらくリラックス。紀ノ国屋にでもいって時間をつぶそうかとも思ったが,中途半端なのでやめた。忘れ物がないか入念に調べる。 10:50くらいにチェックアウト。Raddison Berkeley Marinaでの経験を生かして

I'll check out.Status is no problem.

支払いはクレジットカードなので請求書にサインをする。結構寒かったのでしばらくロビーで待つ。11:00ホテルの玄関にでる。時間より少し遅れてシャトルバスが来る。シャトルバスっていってもおおきな4WD見たいな感じであまりバスというイメージではなかった。市内のあちこちで相乗りの客を乗せて一路サンフランシスコ国際空港へ。

帰国

UAの国際線の搭乗エントリのところで降りる。すでに私の乗る便のエントリは始まっていた。今野さんとは同じ飛行機に乗るはずなので列の中にいるかなとおもって探したけどいなかった。荷物検査とかして待合室へ。ここで今野さんと合流。しばらく雑談してすごす。しかし私の航空券には席番号の表示がない。かなり焦ったがどうにかなったようだ。飛行機は満員。かなり疲れた。成田で今野さんに挨拶してから成田エクスプレスで東京へ。中央線も座れた。家に帰ると両親が迎てくれた。夕食もちゃんと用意していてくれて,なんかうれしかった。

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以上、6日分です。
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Takehiro Suzuki